[インタビューシリーズ]日本初のナポリ料理の出店をこぎつけた女社長の話

インタビューシリーズ、1ヶ月で第5弾まで書けました!今までインタビューに協力してくれた方、読んで下さった方、コメントやシェアして下さった方ありがとうございます。

世界中の30代・40代で好きな事をしながら生きている、起業した人たちに話を聞いて少しでも元気を貰えたらと思って始めた企画です。

今回のインタビューは、英会話のNOVAから編集プロダクション、フリーランスでカナダに留学しながらファッション雑誌にコラムをもち、広告代理店にヘッドハントされて数年後、「人のネタでご飯を食べること」で自分の中でしっくり来ない点があり、レストラン開業に踏み切った田口玲子さんのお話。

書く仕事からレストラン経営と全く違う分野に飛び込んで大成功している彼女。どの経緯でそういう事になったのか秘密に迫ります。

1)ドン・マンジョーネ・ディ・ナポリというレントランはどういう所ですか?

ナポリ料理のレストランです。

日本で言うイタリアンは”パスタかピザ” 中心ですが本当のイタリアンは地域によっても料理と味が全然違うんです。

イタリアの北から南まで有名店を食べあるいた結果、ナポリ料理が一番お腹に優しくて美味しかったので、その場でお店のオーナーさんを呼んで「日本でお店をひらきたいんだ!」と直接交渉し、フランチャイズ契約を結びました。最初のお店は「イル・ポモドリーノ」という名前でした。

フランチャイズ契約は5年間だけでしたので、5年経ってからは名前を変えて引き続き営業する事になり、今のお店は、ドン・マンジョーネ・ディ・ナポリと言います。直訳すると、『ナポリの食いしん坊おじさん』という意味です。
たくさん、食べてもらいたいし、イタリア人の太鼓腹のイメージが好きなのでこの名前にしました!

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2)どういうきっかけで起業しようとおもったんですか?

私はお金をかける事を惜しまない事が2つあって、1つは本、もう1つは食事です。

本はもう編集プロダクションの仕事や雑誌編集の仕事、広告代理店などでほぼ24時間体制で働いたのでもう全力を出し切ったなと。あまりにも疲れすぎて掃除用具入れで膝を抱えて寝たり・・。例えば8月に出社して忙しすぎて会社を出れず9月に退社した、とかもありました。なので本の業界では力尽くしたので、食の業界に挑戦しようかな、と思ったわけです。

人間は、食べないと生きていけないから、ごはんを食べる行為はなくらないだろうし、だったら、ごはんを売る店もじわじわやっていけるだろう、と思ったからです。

イタリアを選んだのはバックパッカーで世界を回っていた時に、地域によって材料や料理法も全然違うし、日本のイタリアンには地域に特化したお店は無いなと気づいたいのがきっかけです。

(ちなみに、地域に違いがこんなにあるのはイタリアが統一される150年前までは個別に王様がいて別の国だったからです。)

 

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地域ごとの名産料理 (Foodieclub参照)

 

最初はお店をやると決めた時に、美味しいものや空間を与える仕事だと思ったんですが、やってみたら全然違いました。一番嬉しいのはお客さんがドアから入って来た時と、ニコニコしながら帰って行く時です。待っている時間が長い商売なので、与えるよりも愛情やケアをもらう仕事なんだなって気がつきました。

 

3)レストランを開業すると決めてから練った戦略は?

まずは場所を選ぶ時に、東京、名古屋、大阪か福岡の中から選ぼうと思いました。福岡は地元の美味しいものが多すぎるの却下、イタリア料理=粉物(ピザとかパスタ)なので粉物競争が多い大坂も断念(お好み焼き、たこ焼き)。

関東出身ですが、東京は出店の費用が高すぎたので、OL時代の貯金と銀行からの借り入れで、競争相手も少ないであろう名古屋に決まりました。

ナポリ料理自体がオリーブオイルを使うのでこってりしすぎず日本人の食にも合うかなと思いました。北の方に行けばバターやラードで味付けされているので結構お腹にどっしりと来ます。どのレストランにしようかと下見にいった時には北から回ったんですが、ナポリについた途端に便秘が解消されたので”これだ!”と決まった訳です。笑

個人的に好きなのはギリシャ料理とか何ですが、日本人には毎日食べたい!と思うには難しい味かな、と思い、ナポリ料理だったらシンプルなトマトソースで毎日食べれる味だなと感じました。(写真:右は本格ナポリピザ窯!)

 

 

最初に出店の契約を取り付けた会社はイタリアの有名なチェーン店を全部食べた中で一番美味しいと思える所でした。契約が切れるまで5年間の間、約束ではフランチャイズ料を支払う代わりに「ナポリニュース」とやらを共有するサービスがあったのですがそれがすごくイタリア人。今月のオススメメニュー、クリスマス特別メニューが3日前に届くという事態でそれに合わせて商売するのがすごく大変でした。イタリア人をよく知る友達からすると”事前に知らせてくれるだけでそのイタリア人はものすごく仕事出来てるよ”と言われる程。

サービスが改善される事もないだろうと思って、結局契約は更新せず、名前とロゴを返却しドン・マンジョーネ・ディ・ナポリとして再出発したわけです。

4.経営者として働くのと従業員としての働くのでは違いはありますか?

全然違いますね笑

経営者として働き始めてから、常に資金&人材で悩んでます。

全員のお給料はしっかり払えるのか、資金繰りは大丈夫か、が一番の悩みです。そして従業員の将来の事も悩んでしまいます。今社員が2名、アルバイトの学生さんが10名の体制でやってますが、彼らがなるべく良い人生を送れるように、私はきちんとそれをサポート出来ているのか、うちで働いている以上そういった責任を感じます。

いい点としては(経営者になったからにはやりたい事をやっている事が大前提ですが)やりたい事が出来る事は良いですね。あとは人間関係の軋轢が少ない点。

経営者になってからは色々と人に感謝する場面も増えました。

そして全部が自己責任なので他人のせいにしなくなりました。

会社員の頃の方が自我が強くて、うまく行かなかったら自分がいる状況やお客さんのせいにする、言い訳が多かったと思います。

自分を「従業員」という檻に入れちゃって「こんな企画やってみたいけど、自分の会社じゃないし無理だよね」と最初から諦めてしまって出来る範囲の仕事だけに目を向けてやっていた気がします。

 

5)若かりし頃の自分(30代、20代)にアドバイスがあるとしたら何ですか?

もっとその時間を楽しめ!とアドバイスするかな?

遠い将来の無駄な心配したり、もっと早く、遠くに走れるのに躊躇して全力で行かなかったり。仕事でもプライベートでも全力でやれば結果っていうのは付いてくるので細かい事は気にせずにやれば良かったなって思います。

あとは上司とかに「最近どうだ、良かったらご飯でも食べに行って色々話そう」とか「今人を探して居て良かったらうちで働かないか」という誘いを素直に受け取らなかった、というか気にかけてくれている人が沢山居たのにそれに気づかなかった点があります。

経営する側に回って思いましたが、うちで働かないか、というセリフはむやみやたらに言わないし、本当に信用する人にしかかけない言葉であるのに、若かりし頃は「人手が足りなくて片っ端から声かけてんだろうな」って思ったり、ご飯を奢ってもらって、普段言いにくい事を話す場を作ってくれた上司は、「なんでわざわざ飲みに来てまで仕事の話なんかしなきゃならないんだろう」って感じたり。後輩のために愛情を持って相談の場を持ってくれたのに感謝できていませんでした。

 

6.日本の働き方、どのように改善したら良いと思いますか?

日本にある会社って、”政治仕事”が多すぎて効率が下がってしまっていると思います。

例えば建て前で作る資料や、「あの人の顔を潰したくない」とか、「この話を通しておけばあとが楽」とか・・そう行った本来の仕事でないものに時間を当てすぎて効率が上がらないのかな。これを無くせればもっと早く仕事が終わると思います。

あとは”正面突破力”が弱いという点。例えば仕事でファスナーの金具を作っている会社にコンタクトを取りたい時に、ネットで探して電話すればいいのに、日本人って「そういった仕事してる人知ってる?」ってまずツテを探したりするじゃないですか。進行具合を確認すると「今ちょっとツテを探しています」っていう理由が通っちゃうのはどうかと思います。

あとは概念の問題ですけど、仕事を時間として捉えていないのかな、と思います。1時間働いた時の生産性とか考えてなくて、人の仕事も待っている事で団結力を高めている会社だったら手伝えば?って思います。人に仕事を任せたり、外注するのも苦手ですし、コミュニケーション力が問題なのかな。

 

7)今後どういった事に挑戦してみたいですか?

元々は小説を書いてみたかったんです。

新卒採用で入ったNOVAでは、「営業成績が関東のエリアでトップ5本の指に入ったら辞めて小説を書こう」と決めていたんです。毎月ファックスで全店舗の営業成績が送られて来てたんですが、1年くらいしたある月に5位の欄に”田口玲子”って書いてあって、もう飛び上がって上司に「すみません、会社を辞めます」って突然言いに言ったんです。上司もポカンとしてました。笑

何故だ?と聞かれて「私、小説が書きたいんです」って。笑

辞めてみたは良いけど、どこからスタートすれば良いのか分からなくて、とりあえず書く勉強をしよう!と思い、編集プロダクションで仕事をしました。そこは下請けで雑誌を何冊も作ったり色々なジャンルの記事を書きましたが日給6千円で22時間働かされました。ご飯の為に外出できなくてお弁当を注文してその分1000円引かれていたので実質は5000円でしたが。意識が朦朧として来たら掃除用具入れの中で膝を抱えて仮眠して。もらった仕事は全部終わらせてやる!と8ヶ月くらい頑張ったらいくつかの会社や編集部にスカウトされたんです。

そうして入社した先がソフトバンクの子会社で、なんだかんだ、雑誌を3~4冊創刊して、最終的には同時並行で、月刊誌を2冊、別冊を1冊、みたいな感じで月に3冊くらい雑誌を出版してたんですが、また24時間働かされました。5人体制で全然人が足りていなくて、8月に出社したと思ったら9月まで会社出れないとか。でもきちんとお給料は出ていたし、仕事は面白かったので3年半くらい続けたあと、カナダへ留学しました。理由は単純に、英米小説が好きだったので、現地で暮してみたかったから、です。

カナダに住んでいる時と留学前後は、フリーランスでおしゃれ雑誌系、聞く人がきいたらわかる男性ファッションなどに連載を持たせてもらっていました。あと、ちょこちょこ、広告代理店からコピーライターの仕事などをいただいたりしてました。そうしたら、当時大流行しはじめていたR25という雑誌を取り扱う広告代理店兼制作会社を電通+リクルートが合同出資てつくるという話があり、そこの社員一号としてヘッドハントされました。理由は雑誌作りも広告制作もでき、またITから健康まで、守備範囲が広いということと、決め手は営業力があるという点だと言われましたが、ここでも24時間働きましたよ。笑

自分としては、自分が書きたいことを表現する、という能力はもう養ったと思ったので、としては申し分無いと思うので、レストランを始めた今では、小説全体の構成を学ぶ為に英語の小説を個人的に翻訳したりしています。日本語の本だとトントン読んでしまって「あー面白かった!」って終わりますけど、翻訳の作業だと、ひらめき+じっくり一文ずつ過誤がないか確かめながら読まないと進まないので勉強になります。

ここまで来たので、一生をかけて、ちょっとずつ素敵な話をためて、10年後くらいには小説家になろうと思います!

その他には競技フリスビーが趣味なので名古屋にもフリスビーを一緒に出来る仲間を探したいなと思っています!


インタビューは以上になります。

田口玲子さんのレストラン、Don Mangione di Napoli ドン・マンジョーネ・ディ・ナポリの詳しいメニューと情報はウェブサイトFACEBOOK をご覧ください。

 

さいごに

ものすごく経験豊富で、やってみようと思った事は躊躇なく挑戦していて本当にすごいなと思いました。飲食業は開店時間も長いし、今までインタビューして来た人とは違って、時間的自由は全然手に入らないし、私なんかで参考になるの?と仰ってましたが、こんなに沢山の経験をした、それをお話して下さって私はとても元気が出ました。

書く仕事から180度変わってレストラン経営。

ビジネス書とかはすぐ使える仕事術とか時間の使い方を上手にする、とか技術の方に目を向けていますが、私は純粋に何が楽しくてその仕事を、会社を立ち上げようと思ったのか、どんなビジネスチャンスがあると思ったのかに興味があります。

例えば今回だったら、名古屋に拠点を置いた理由とか、なぜレストラン経営を選んだのか、どうしてナポリ料理に惹かれたのか、そういった所にこだわりがあったり、インタビューから聞き出せるのがとっても楽しいので続けています。

編集プロダクション、雑誌の編集や広告代理店でほぼ24時間働かされた田口さんが言う働き方の改善出来る点はすごく共感できます。相手の事を思いやる事が出来る日本人、その分社内政治が複雑化してその仕事に費やす時間が多くなります。

私も2人しか居ない会社を始めてから正面突破力が強くなったと思います。以前は自分がやらなくてもなぁなぁでほっておいたら他の人がやってくれたり、本部の指示を待ったりしてましたが、今はパソコンの具合が悪ければITの部署を呼んで・・とか悠長な事言ってられません。自分で修理方法を見つけたり、会社の携帯を買い換えるのも一番いいモデルを安く何処で買えるか、などリサーチしたり。自分でやらないと誰もやってくれませんのでその分たくましくなりました。

そして何より、一生をかけて書こうと思っている小説は是非読んでみたいです!

皆さんも名古屋へお越しの際は是非、”イタリアで一番日本人に合うであろう地域料理の中でも一番美味しかった本場の味”を試してみて下さい!

<過去の記事>

働き方を見直そう”インタビューシリーズの

第1弾はこちら→ 「フリーランスからIT企業の社長になった話

第2弾はこちら→ 「勤め先から押し出され開業、流行りの治療院を営む夫婦の話

第3弾はこちら→ 「イギリスから韓国に移住、会社を立ち上げて奮闘中!

第4弾はこちら→ 「社長が急に亡くなり28歳で会社を引き継ぐ事になった女社長

 

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