死について考える。

5月9日は父が死んでから丸5年。
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”俺新生児抱っこしたくない”と言われたがそんな毎日パリにいる訳でもないし、抱っこしときなよ!と無理やり抱っこさせたらそれが最後の写真になってしまった・・・。

5年間の間に3ケ国を引っ越したり(フランス、香港、ベルギー)、会社始めたり、子育てに悩んだり、濃厚な5年だったな、と感じつつ孫の成長を見て欲しかったな、香港やベルギーの美味しいご飯食べると、お父さんにも食べて欲しかったな、なんて考えたりします。辛いものが大好きだったお父さん、今日はヘントで一番美味しい(そして辛い)四川風チキン料理を食べに行きました。(Golden ringにて、Szechuan spicy chicken)Screenshot 2018-05-10 12.34.55

死についてあまり向き合って考える機会も少ないので、タイトルはダークですが普段 「死んだらどうなるんだろう」って考えてる事についてまとめて見たいなって思いました。

お父さんの死

出産して1ヶ月ちょいしてから父が亡くなったと電話がかかってきました。母も出産の手伝いにパリに来ていて、子供のパスポートが出来たし、ひいおばあちゃんも歳だから会いに行こうか、とロンドンに泊まっている時に警察から電話がかかってきました。

解剖結果、寝ながら心筋梗塞を起こし、死亡推定時刻は9日だろうと。専門学校で週に1回教えていたんですがいつも時間30分前には来る父が連絡も無しに休んだので心配になった校長先生が家まで来てくれて、電話も出ない、ピンポン押しても誰も居ないので警察を呼んで下さったそうです。

今までずーっと気にかかって居たことは、元々母が来る時に4月の29日に帰る便を予約する予定で、ゴールデンウィークの前だから混雑しているかな、と思って、長くいるならおばあちゃんに会いにロンドンに行く?ゴールデンウィークの後に帰ればいいじゃんって言ったんです。もし予定通りに29日に帰って居たとしたら、もしかしたら心筋梗塞に気が付いて救急車とか呼べたんじゃないか、父は助かったんじゃないか、って後悔しました。

でも、もし母が予定通り4月29日に帰って来て居たとして、隣で寝ているのに気がつかなかったら? それはそれで母にとってものすごいトラウマになったでしょうし、救急車を呼んで助からなかったら?もしくは障害が残ったら?

うちの父がよくご近所さんに「俺が庭いじりしてて心臓発作起こしたら助けないでくれ。死ぬまで待ってから救急車呼んでや、俺障害残ったりするの嫌だから」ってよく言ってたんですよ。

だから最終的には本人が望んだ形だったのかな。考えても悩んでも起こってしまったことは仕方ないし、メソメソしてたら「俺の事でメソメソしてるんじゃない!そんなに可哀想だなんて思われる人生過ごしてないわ」って怒られそうです。

 

死と宗教について

最近、どうやって仏教とか、キリスト教とかイスラム教とか、宗教が生まれたのかな、って事を考えたりします。それは人がどこから来たか、死んだらどこへ行くのか、って人生の多大なる謎を考えても考えても分からないから「神様っていう存在がやったんだよ」って言ったらなるほど。って一番納得する説だったんじゃないかなと。

私は両親がイスラム教で育ちましたが、今ではお酒も飲むし、豚肉も食べるし、日本で育ったのでどちらかというと神道(しんとう)の様に水の神様、木の神様、森の神様、八百万の神の方がしっくり来るなって考えています。

八百万の神とは

自然のもの全てには神が宿っていることが、八百万の神の考え方であり、欧米の辞書にはShintoとして紹介されている。日本では古くから、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様(かわやがみ)、台所の神様など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。自然に存在するものを崇拝する気持ちが、神が宿っていると考えることから八百万の神と言われるようになったと考えられる。八百万とは無限に近い神がいることを表しており、多神教としてはありふれた考え方である。 またこういった性格から、特定能力が著しく秀でた、もしくは特定分野で認められた人物への敬称として「神」が使われることがある。(Wikipedia)

どの宗教も死んだらどうなる?っていう点が重要になっています。例えばイスラムとキリスト教は極楽浄土、天国・地獄見たいな考えが会って、死後の世界があると考えれれています。生きている間に良い事をすると天国に行ける。逆にユダヤ教は死んだらそのまま死ぬだけ、という考えです。

NetflixのシリーズでGood Placeというシリーズがあるんですが(面白いです、おすすめ)この死後の世界を舞台にしたコメディなんですが、旦那とこれを見た時にすごく仕事の世界について考え方がお互い違ったので面白いなぁ、って思いました。

私は天国も地獄もなく、死んだら死ぬと考えています。ユダヤ教に似ている考え。強いて言うなら土葬(イスラム式)か火葬(日本式)だったらどっちも嫌だけどとりあえず死んだ国で一番一般的な・お金のかからん方法でお願いしたいです。(死んだ身体にお金をかけるなら生きているうちにかけたかった・・)

でも周り人が死ぬと、魂が存在する、天国がある、と考えた方が遺族として楽?というか夢がある考えだよなと思います。父は死んだらその場で集結せず、天国から私たちを見守ってもらってるんだ、とかそのうち生まれ変わるのを待ってるんだ、と言った感じ。

旦那はカトリック系キリスト教なので、人は罪(Sin)を持って生まれたと。そしてキリスト教はそれを救う宗教。アダムとイブが食べた禁断の果実のせいで人は生まれた時からこの罪を持って生まれるので生きている間、懺悔する必要があるだとか。

彼はこの考えを幼い頃から教えられて来たから、「罪の意識」が私の想像とはかけ離れているレベルで存在しているんです。私は「生まれた時から罪だって?赤ちゃんに何の罪があるのさ!」って思いますけどそんな簡単に長年刷り込んで来た考えは取れるものでも無いし、良い行動をするのもその罪を償って、天国に入るために良い行いをする・・。

私から見ると良い行いをするのは大前提だけど、良い行いをしてね!と言うとそれだけでは強要性が無いから、良い行いをしないとあなたは地獄に落ちる、何もしないと元々罪のある一からのマイナススタートなので良い事をしないと絶対に天国に入れない、って言われた方がみんな良いことをする様になるんじゃ無いかな、って言うのがこのキリスト教の考えの始まりだと思う!(って言ったら旦那にむちゃくちゃ怒られました。)

 

完全に自己満の”宗教の始まり”の考え (注:専門性なしのただの独り言です)

日本ってお坊さんの家系に生まれた、とか自分でお寺で修行しました、って方以外、無宗教って人が多いと思いますが、初詣に行くとか、お宮参りや、お土産でお守りをもらう、神社に試験の前にお参りに行くなど何かしら生活に根付いた形一般家庭には存在します。

仏教・神道はRegligion of Practice(実行する、鍛える宗教)ってよく海外で言われています。特に最近、アメリカでは瞑想(メディテーション)が流行っています。坐禅を組んで頭を空っぽにする、瞑想をする事でプチ悟りを開いている様です。私も頭がいっぱいいっぱいでねれない時とかに座って目を瞑って呼吸に集中すると自然と肩の力が抜けてリラックス出来ます。

宗教って、こう言った「実は身体や頭に良いですよ」って言う行いを、健康に良いから!だけでは人はやらないけれど、自分が想像出来ない様な死後の世界を操る神様が言ってたよ、って言うと俄然やる気が出て来る様な気がしません?

そして神様にまつわる話や、イエス・キリストの話って言うのが何であんなにぶっ飛んだ話なのか(水をワインに変えたとかモーゼスが海を割ったとか)そう言う風に言った方が印象が強くなるし、そんなすごい人の言った事はぜひ聞きたい!彼が言うなら間違えないわ!となるのかな。

例えばイスラム教の「豚肉を食べない」。ユダヤ教も実は豚肉食べないんですよね。”教え”がそう言っているから食べないんですが、科学的に言っても豚って言うのは人間に一番内臓が近い動物なので豚の菌は人間に感染ると危ないんです。あまり調理器具が揃っていなかった昔はきちんと火が通ってなければ危ない豚を食べさせない!って事をどう人に伝えれば良いか、って考えた時に「私じゃないよ、あの海割ったモーゼスいるじゃん?彼ね、アラーって神様とお話が出来るんだ。彼曰く、アラーは豚食べたらいかんよ、って言ってた。あ、お酒も飲まない方が良いって言ってたらしいよ。」って言ったらみんな聞いてくれるんじゃないか?

(こう言う事言ってると旦那にガチギレされるんですけどね。彼は大学時代に宗教学を勉強したのでそんなに単純に宗教が生まれるわけがないと)

例えばですよ、自分がある村の村長さんになりました。村長さんの役目は村の人たちが

  1. 健康に過ごす(これは宗教で危険なものを食べない、信じる事でメンタルも良くする)
  2. その村人が必要なだけの衣・食・住がある。

クラスで運動会とかやるときも全員が勝つ!と一生懸命練習できると勝てるけど、一部が「運動会なんてどうでも良いし」って態度でやってると3分の2が良くてしてても負けます。

村長さんが言っても聞いてくれるか分からない、その時に村の人たちがみんなキリスト教だったら?私が村長さんだったらもっと〇〇して欲しいな、この村の人たちに、と思った事柄を、聖書のこの格言が似た事言ってたよ!って村民集会で言ったとしましょう。そしたら宗教ってこの村人の団結力を高めて、同じ目標で、同じモラル(道徳)を持って生活しましょう、ってまとめ上げる力があるんじゃないか?

ヨーロッパに行くとどんなに小さな村にも教会があります。みんな日曜日に同じ教会に通って、ぶっ飛んだ神話を聞いて(生き返った、ミラクルパワーで誰かを助けた)そこから語り継がれる教訓やモラルを守るようになります。(神が言ったから守ってないと痛い目に合うかもしれないから)。村民みんなで運動会に勝つための団結力が「宗教」を通じてみんなが幸せに共存できるためのツールを差し伸べてたのではないでしょうか。

そしてその村が成功を収める事で、これが村政治のモデルみたいに宗教や教会が広まったんじゃないかな、と思います。現代で言えばチェーン店の様な感じで教会は村の成功させるビジネスモデル、政治モデルで、その”宗教”が広がったのかな・・・。

今の時代だと、会社ってちょっとそんな感じかも、って思います。チェーン店もそうですけど、トヨタ方式とかディズニー、ピクサーの映画など、みんなその独自の信念を社員全員が持つ事でみんなで同じ目標を達成しようとする姿勢が成功を収めている。ディズニーが大好きな人ってウォルト・ディズニーの名言、格言を神様の様に捉えるんじゃないかな。

ディズニーランドが完成することはない。

世の中に想像力がある限り

進化し続けるだろう。

++++++++++

好奇心はいつだって、

新しい道を教えてくれる。

- ウォルト・ディズニー -

アイドルの追っかけ、新宗教の設立もある程度のビジネスモデルが広がったと考えると、昔からある宗教ってある意味、勝ち残ったビジネスモデルじゃないのかな・・旦那は間違ってると言いますが私には理に叶ってると思うんだけどなぁ。

死の準備をする

備えあれば憂いなし、父の死後処理は銀行口座が何故か6つ。株も所有してたんですが祖父の名前のままだったのでそれを父の名前に変え、母の名前に変える必要があったり、車、保険、年金、家の名義変更、全部ですよねw。何かしらの遺書があったら楽だなーってすごく思いました。

いつもやろう、やろうと考えてるんですが、そろそろ遺書を書いておこうかなと。

財産がある訳でもないんですが、どこの国に銀行口座があって、口座番号とか・・。日本だとリスト出してくれますが海外までのは分からないだろうし、直近の家族はみんな日本語出来ないから兄家族頼まないとだし・・。笑

何よりも「もう明日死んだら後悔しない様な人生」にすることが一番ですね。やりたい事は我慢せず、どんどん色々な事をやったら良いんじゃない。人生あと何年生きるか分からないし!

 

 

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